彩云国物语的谚语有哪些?
最好是日文的
有平假名的
呵呵~
参考答案:日语谚语格言之《彩云国物语》版 第一回
うまい话には裏がある
意思是:话中有话。
含有汉语里的“醉翁之意不在酒”,“弦外之音” 等感觉。
うまい 是甘甜的,美好的,巧妙的,高明的意思,うまい话,即我们常说的“漂亮话,好话,美事”。由此引申开来,うまい料理,就是“美味佳肴”,うまい事,就是“好事”。顺便再介绍一个和うまい有关的一个惯用语:うまい汁(しる)を吸う --努力しないで利益(りえき)だけを得る。不劳而获,占便宜,揩油。
裏 意为:隠されていて、表から△见えない(分からない)所や事柄 ,即隐藏在表面背后的看不到的东西,~~には~~がある〔=内情が复雑で真相がつかめない様子〕。结合字面解释就是,漂亮话的背后隐藏着的东西。也就是“话里有话”的意思了。
下面是两个应用的句子:
うまい话には裏があるっていうじゃないんですか、彼の话をすべて 信じると いいの?
うまい话には裏があるんですけど、彼の话を 信じるしかないんですって、しょうがないわ。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第二回
井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかわずたいかいをしらず)
意思是:自分が持っている狭い知识だけで何でも推しはかって済ます浅はかさのたとえ
井底之蛙,不知大海之广
含有汉语里的“望洋兴叹”,“小巫见大巫” 等感觉。
这里的「知らず」是しる的否定形式。变化形式为把动词的ない形中的ない变为ず即可。
这句谚语很简单,不再赘述。下面是两个应用的例子:
あの人は これも しらないんだ、やはり「井の中の蛙大海を知らず」のものだ。
「井の中の蛙大海を知らず」、この世界の広さを见れば、よく 分かれるかもね、あのバガ。
顺便介绍一个和这句谚语类似的:
燕雀いずくんぞ鸿鹄の志を知らんや (えんじゃくいずくんぞこうこくのしをしらんや)
燕雀不知鸿鹄之志
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第三回
能ある鹰は爪を隠す (のうあるたかはつめをかくす)
意思是:雄鹰藏其爪 本当に実力の有る人は、真に必要のある场合しか、それを示さないものだ。
相当于汉语的:“真人不露相”,“小隐隐于山,大隐隐于市”,“能者遁其行”等意思。
这里面的「能ある」是「能がある」或「能のある」的缩略,在句子中修饰名词「鹰」、「能」实际上是小主语,一般来讲「能のある」更普遍。这个句子修饰名词的时候不可以加の、若写成「能あるの鹰」就不对了。真正有本事的人,外表不表现,在需要时才显示自己的本领。在日语中说“有本领的老鹰平时就把利爪藏起来。” 不论中国讲的人还是日本所指的鹰,有本领的不轻易流露出来。言下之意,那些喜欢表现自己本领的人往往是不太有本领的。和这些类似的还有下面两个常用的谚语。
空き樽は音高し(あきだるはおとたかし) 一瓶子不满,半瓶子幌。半瓶子醋 等等。
即空桶在滚动时声音很大,相反,满桶不大发出声响。
浅瀬に仇浪(あさせにあだなみ)
“浅瀬”是“浅滩”,“仇浪”是“喧嚣的浪花”。
说水浅时浪花很大,但是水深时没有浪花,可是真正可怕的是深水。
下面是一个应用的例子:
A: ねぇ、田中さんは 今回 一番になるそうです、すごいじゃない。
B: 能ある鹰は爪を隠す。彼よりすごい人 キット いるんだ。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第四回
それは宝の持ち腐れ (たからのもちぐされ)
意思是:正所谓“暴殄天物”
1. 役に立つ物を持ちながら、使わないでしまっておくこと。
2. 才能・手腕がありながら、それを活用しないこと
含有汉语中的“焚琴煮鹤”,“因其利不知其用”等意思。
这里的それは没有什么实际意义,只起一个借代主语的作用,可以理解为“所谓”。「宝」指宝物,具体一下可以想象成“金碗”之类的~~~^_^,「宝の持ち」指怀有宝物,「腐れ」、本来的发音是「くされ」、这里和前面的「宝の持ち」连用被浊话了,读作「ぐされ」、日文解释是:病害で腐ったような状态になること。また、その物。即“腐烂或腐烂的东西”,那么联系前后意思,马上就得出“用金碗装腐烂的东西”,或是“捧着金碗要饭”等情境。显然不难猜出该谚语的意思是“焚琴煮鹤,暴殄天物”了。这里值得一提的是,他还有第二个意思,即“有才能,却不知灵活利用”,其实不难引申。不再赘述。
下面是两个应用的句子:
そんなすてきなものを舍ててしまった、あなた、「宝の持ち腐れ」のが、全然分からないな。
2万の高い背広なのに、一度だけで、新しいのをかうのは 本当に 宝の持ち腐れと言うものだなあ。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第五回
努力に胜る天才なし(どりょくにまさるてんさいなし)
意思是:天才难敌勤奋
和汉语里的“勤能补拙”“一分辛苦一分才”“一分耕耘一分收获”的意思相近。
这里的「なし」即「ない」。「胜る」指超过,胜过。「努力に胜る」指超越努力,修饰「天才」意为“超越努力的天才”。整句话的意思就是“没有超越努力的天才”,即“天才难敌勤奋”。这句话,我超喜欢,而且简单明了,不再赘述。
下面是两个应用的句子:
① A:光君、毎日 一生悬命に勉强していますね、ちょっと 休んでいいじゃない。
B: そうだけど、「努力に胜る天才なし」というのも あるね、仆は 头が よくないから。
② 田中、ずっと 勉强しないのは だめだよ、君は 头がいいけど、このままじゃ、すぐ 追いつかれ るよ、「努力に胜る天才なし」の言叶を忘れるな。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第六回
画竜点睛を欠く (がりょうてんせいをかく)
日文解释:よくできていても、肝心なところが欠けているために、完全とはいえないこと
意思是:画龙欠点睛
它和 :
【画竜点睛(がりょうてんせい)】
〔リュウをかいて最后に ひとみを书き加えたら、天にのぼったという故事に基づく〕それが无いと、完成したことにはならない、大事な最后の仕上げ。
正好是一对相反的表达,实际上后者更常用一些。
在汉语中和它类似的表达有“万事俱备,只欠东风”(三国中赤壁之战的典故)的说法。意思明了简单,不再赘述。
下面是两个应用句子:
それは画竜点睛を欠く憾みがある。
この絵は 最后の鹰は 画竜点睛の点だよ。
ここまでです。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第七回
よく泳ぐ者は溺れる(よくおよぐものはおぼれる)
意思是:枪打出头鸟
和气类似的汉语表达还有“出头的椽子先烂”,“木秀于林,风必摧之”。
よく 在此处是程度副词,表示“做得好”,「よく 泳ぐ者」即“擅长游泳的人”,「おぼれる」指溺死,溺水等意思。连起来就是“溺水者是善泳者”。好像翻译成“枪打出头鸟”,有点勉强。姑且记住吧。
下面是一个应用句子:
A:田中さんは 最近、自慢话をするばかりしているそうですね。
B:そうですね。东大生で、能力があるのだから。でも、「よく泳ぐ者は溺れる」という言叶もいるです
よ。彼は すぐ分かったと思います。社长も 我慢できませんから。
P.S:
作者天涯倦客语:这次的谚语多少有些争议,我采用的是动画翻译组的翻译,大家如有不同看法,请在回复时,以可见方式指明,以供商榷。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第八回
猫の手も借りたい(ねこのてもかりたい)
意思为:忙得不可开交
非常に忙しくて、どんな人にでも応援してもらいたい状态の意に用いられる。
这里的「かりたい」是“我想...”的表达法,「たい」形,为动词的连用形+たい。猫の手も借りたい原意为连猫的手都想借。比喻极其繁忙,很想得到他人的帮助,常以「猫の手も借りたいほど忙しい」的形式出现。汉语中形容繁忙至极的忙得不可开交,忙得脚打后脑勺,恨不得能长三头六臂等与之同义。
下面是两个应用的句子:
収获期の农家は猫の手も借りたいほど忙しい。
最近は 猫の手も借りたいほど、忙しいから、そのことを 忘れちゃった。
下面再介绍一个和猫有关的谚语:
猫をかぶる(ねこをかぶる) 装相
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第九回
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
也写作:千里(せんり)の行(こう)も足下(そつか)に始まる
日文解释为:远い旅路も一歩进むことから始まるように、远大な仕事も手近な物事から始まる。千里の行
も一歩より起こる。千里の道も一歩から。语出自《「老子」六四から》。
意思是:“千里之行,始于足下”。
在汉语中还有类似的“不积跬步,无以至千里,不积小流,无以成江海”的说法。
句法没有什么可解释的,意思也简单明了,不再赘述。
下面是一个应用句子:
A:田中さん、资料の整理は まだ完了しませんか。
B:ええ。一万ペッジが残っているそうだ、本当に たいへんだね。
A:そうね、でも、「千里の道も一歩から」というものだよ、これから、顽张らなきゃ。
这里在介绍两个和“千里”相关的谚语:
千里の野に虎を放つ(せんりののにとらをはなつ)
日文解释:危険なものを放置して、のちに灾いを残すたとえ〔出典: 盛衰记 17〕
意思是:放虎归山。
千里の堤も蚁の穴から崩れる(せんりのつつみもありのあなからくずれる)
意思是:千里之堤,溃于蝼蚁之穴。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第十回
待てば海路の日和あり(まってばかいろのひよりあり)
日语释义:待っていれば、海の静かないい日和がやってくる。「待てば甘露の日和あり」の言い方を変え
たもので、意味は同じ;根気よく待てば、航海によい日和の日もやってくる。
待てば甘露の日和あり;长い目で待っているうちに、良い事が有るものだ。
意思是:时来运转
这里用的是「待つ」的假定型,变为「待てば」、即“如果等待的话......”,「海路」的意思是“航海的路线”,「日和」是“天气,晴天”的意思。那么联系起来就是:如果等待的话,总有适合航海的好天气。意译过来就是“总有时来运转的那一天”,或者也可以译成“机会总是青睐有准备的人”,不过这就成格言了,呵呵。
下面是一个应用的例子:
A:田中さんは社长になったそうだね。
B:ええ、彼は この会社に着た时から もう10年间ですよ。
やはり、待てば海路の日和ありというものだ。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第十一回
恋の病に薬なし(こいのやまいにくすりなし)
意思是:相思病无药可治
意思上倒是和汉语很像阿,呵呵。才子佳人小说中,常有的台词不就是“心病还需心药医”吗。
需要注意的有两点:1。に的用法,这里表示对象。
2。注意这里「病」的发音。
至于なし、前面已经说过,不再赘述。
下面是一个应用的句子:
A:田中さんは 最近 元気がなさそうですね。いったいどうしたんですか。
B:恋人のせいだということだったよ。彼女と分かれてしまったそうだ。
A:やれやれ、恋の病に薬なしというわけだね。
下面介绍一个和此类似的谚语,很常用的哟。
痘痕も靥(あばたもえくぼ) 情人眼里出西施
日文释义:恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように见える。
ひいき目で见れば、どんな欠点でも长所に见えるということのたとえ。
英文释义: Love is blind. 〔谚〕 / Love blinds a man to all imperfections
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第十二回
逃げるが胜ち(にげるがかち)
日文释义:争わないで相手に胜ちを譲るほうが、大局的に见れば得策である;
相手に譲ってさしひかえる方が、かえって利益になる。负けるが胜ち。
意思是: 三十六计走为上策
该语言简意赅,无须多言。
下面是一个应用的例子:
A:逃げるが胜ち、そんなことを考える时间がないよ、早く 早くしろよ。
B:そう言うんだけど、...
瓢箪から驹(ひょうたんからこま)
日文释义:(1)冗谈で言ったことが思いがけず事実として実现してしまう。
意外な所から意外な物が出ること。ふざけて言ったことが実现することのたとえ。
(2)道理上、あるはずのないことのたとえにいう。
意思为:歪打正着
这里的「瓢箪」是一种瓜科植物(ウリ科の一年草。ユウガオの変种。茎は长く伸び、巻きひげで他物にからまる。叶は心臓形。花は白色。果実は中间部がくびれ、熟すと果皮が硬くなる。観赏用・日除け用に植える。実を容器にする。ひさご。ふくべ。〔季〕秋。)。有点类似我们所说的“葫芦”之类的,成熟的果实可以做成容器,类似“瓢”之类的。「驹」指骏马,庄子的《逍遥游》中曾有「人、天地の间に生くるは、白驹の隙を过ぐるが如く、忽然たるのみ」之语,意思是“人生天地间若白驹过隙尔”,这里提到的「白驹」指的也是骏马快马的意思。这句谚语的原句其实是「瓢箪から驹が出る」、意思是“从葫芦里面跑出了骏马”,我的本意是种葫芦,而瓜熟蒂落后,却发现有骏马嘶鸣而出,这可真是又意外有惊喜阿。翻成“歪打正着”也就合情合理了。
下面是一个应用的句子:
A:闻いましたか?昨日 田中さんは 课长に 会社を辞める辞表を さいあげました。
B:そうですか、って 许されましたか?
A:いいえ、意外で、升进したそうですよ。
B:やれやれ、瓢箪から驹が出るということだね。
下面介绍一个和此结构非常类似的一个谚语:
瓢箪で鲶を押さえる(ひょうたんでなまずをおさえる)
意思是:不得要领。
〔瓢箪で鲶を押さえようとしても、なかなか捕まえられないように〕ぬらりくらりとして要领を得ないことのたとえ。とりとめのないさま。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第十四回
石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
日文释义:
冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる。がまん强く辛抱すれば必ず成功することのたとえ。〔补说〕 冷たい石の上でも三年も居れば暖かになるという意から辛抱していれば、やがては成功するものだ。忍耐力が大切なことのたとえ。
意思为:功夫不负有心人
由日文释义可以看到,这句谚语省略了后面「座りつづけていれば暖まってくる」这样类似的结果,这里用到了动词的假定形和~~てくる的句型,整句话的意思是“在冰冷的石头上持续坐上三年,石头也变得暖和起来了”(这种只能出在比喻上,谁会在冰冷的石头上坐上三年,《神雕侠侣》中的那张寒冰床除外,呵呵~~^_^),用来比喻那些具有很强的忍耐力和意志力的人。也形容只要经过了自己的不断的努力,就能取得成功。典出【毛吹草】。与之相近的还有我们见过的「待てば海路の日和(ひより)あり」和「火の中にも三年」等。
下面是一个应用的例子:
A:田中さんは 自分の会社を创立したそうだね。
B:田中さんと言えば、あの勉强のことが好きな田中さんですか、この5年间でずいぶん変わってきたね。
A:ええ、そうですね、思わずに、こんなすごいことにしたね。やっぱり「石の上にも三年」と言う言叶は
モットーですね。
下面再介绍一个和「石」有关的谚语:
石に立つ矢(いしにたつや) 世上无难事,只要肯攀登
日文释义:〔「韩诗外伝」の楚の熊渠子(ゆうきよし)の话や、「史记(李広伝)」の、虎と见误って石を射たところ矢は石を射通した、という故事から〕心をこめて事にあたれば、どんな难事でも成就するというたとえ。念力岩を通す。
日语谚语格言之《彩云国物语》版 第十五回
亲の心子知らず(おやのこころこしらず)
日文释义:
亲が子を思う気持ちが通じないで、子は胜手気ままなものであるということ。子を思う亲の心を子は察しないで胜手な振る舞いをする。
【出典】 义経记(ぎけいき)
【类语】 亲の思う程子は思はぬ
【反対语】 子の心亲知らず
意思为:子女不知父母心
知らず就是知らない。字面意思已经非常明了。不再赘述。
下面是一个应用的句子:
A:あら、息子さんは ぷんぷんしてるの、どうしたんですか?
B:毎日 游びばかりして、今度のテストは 30点だけを取ったから、叱ってやったんだ。
A:やれやれ、亲の心子知らずっていうんですね。
下面再介绍一个类似的谚语:
子をもって知る亲の恩(こをもってしるおやのおん)养子方知父母恩。